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春はそこまで・・・
古来、「花」と言えば「梅の花」を指していた。
2月は梅の花が咲く時期である。
吐く息が白い通勤の朝。
近所の家の庭先に美しい「花」が季節の移り変わりを感じさせてくれる。
今日は新宿御苑を散策し、可憐な白梅、目に鮮やかな紅梅を楽しむことができた。
2月とは言うものの、好天に恵まれた新宿御苑は、降り注ぐ日差しが暖かかった。
苑内を歩くと、一本の木に人々が注目していた。
何だろう?そう思って、近づくと、それは桜であった。
早咲きの桜として知られる「河津桜」だ。
あと一月もすればソメイヨシノが咲く頃だろう。
春が待ち遠しいのは、寒い冬があるからこそ。
冬には冬の楽しみもあり、楽しみをいかに見出すか。
日々の生活、大げさに言えば、人生も同じかも知れない。
春はそこまで・・・。
ニッポン島紀行~硫黄島編②
港に船が着くと、おおげさな言い方かも知れないが、島民総出で船を迎える。
「どんな人が島に入ってきたか」
島の人たちにとってみれば、新顔を確認することも治安上大切なことだと聞いた。
食料品等の貨物が次々とクレーンで下ろされる。
僕の自転車も、和田君の原付もクレーンに吊るされていた。
「さて、和田君。どこへ行こうか?」
「まずはキャンプ場へ行きましょう」
僕たちは島の管理事務所で手続きを終えて、港からほど近いキャンプ場にテントを張った。
わずか2張りのテントのみ。
キャンプ道具持参でやって来る旅人は少ないのだろうか。
キャンプ場には銅像が建っていた。
絶海の果てに届かぬ手を伸ばし、悲壮感漂う俊寛の像。
俊寛とは平安時代末期の僧で、平家打倒の陰謀を企てたとして(鹿ヶ谷事件 1177年)
鬼界島に流された人物である。やがて、罪許されて京に戻れることになると思いきや、
俊寛だけは許されず、「私も乗せておくれ」と涙ながらに沖へ去ってゆく船を見送ったという。
その鬼界島が、現在の硫黄島であると言われている。
昔日の歴史物語に思いを馳せながら、僕たちは島内を巡ることにした。
島には信号機はない。簡易舗装の細い道が続いている。
道は思いのほか急峻である。
ふと、道の先に何かが動いた。
「和田君、あれは何かな」
「キジじゃないか」
キジにしては大きすぎると思った。
よく見ると、それは孔雀だった。
道の先には数羽の孔雀が群れていた。
「孔雀もウジャウジャいると気味が悪いな・・・」
かつて、リゾート開発のために連れて来られた孔雀が、野生化したものだという。
島の人に聞いたところ、孔雀の肉は不味いらしい。
リゾート開発には失敗したが、今では孔雀の島となっていた。
白い孔雀を見ると幸せが訪れるという。
僕たちは島滞在中に何度も目にしたのだが・・・。
静かな森の中に、小さく佇む墓標。
それは平家滅亡時、壇ノ浦(山口県)で海へ身を投げた安徳天皇の墓であった。
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。・・・」
の冒頭で有名な平家物語の時代。源平最後の決戦となった、壇ノ浦の戦い(1185年)でわずか
7歳の幼帝・安徳天皇は、「波の下にも都はございます・・・」と家臣たちとともに入水し、平家は滅亡した。
ところが、伝説によると、密かに壇ノ浦を落ち延びた安徳天皇主従はこの島にたどり着き、
ひっそりと余生を送ったという。
平家落人伝説の一つである。
日本全国に平家落人の里が存在する。
例えば、栃木県の湯西川や徳島県の祖谷が有名である。
真偽のほどは確かでないにしても、俊寛に安徳天皇といった歴史ロマンが残る島なのだ。
つづく
ニッポン島紀行~硫黄島編①
島にはそれぞれ独自の雰囲気がある。
隣りの島に行くと、まるで別の国に来たかのような印象を持つこともある。
大げさな言い方かも知れないが、島はそれぞれが「独立国」なのだ。
僕が硫黄島を訪れたのは1997年の夏のことだった。
まず、硫黄島について簡単に説明しておこう。
僕が訪れた硫黄島(鹿児島県)は、太平洋戦争の激戦地となった硫黄島(東京都)ではない。
鹿児島市から南に行くこと約100キロの東シナ海上に浮かぶ人口100名程度の火山島である。
位置はちょうど九州本土と屋久島との間にあると思ってもらえばいいだろう。
硫黄島・竹島・黒島の3島がひとつの行政単位として三島村を構成している。
ただし、村役場は島内にはなく、鹿児島市内にあるという一風変わった村である。
僕が硫黄島を知ったのは、その当時、自転車で屋久島を旅していたときのことだった。
硫黄島には絶景の露天風呂があるらしいという噂を、屋久島で出会った旅人たちから聞いた。
温泉好きな僕としては、絶景の露天風呂があると聞いて、行かないわけにはいかないだろう。
僕は屋久島で知り合った「和田くん」と一緒に硫黄島へ渡ってみることにしたのだ。
鹿児島港から村営船・みしまに乗船する。
この船は週に2~3便しかないので、出航日を事前に確認しておく必要がある。
さらに、天候によっては何日も欠航になる可能性もあるので、天気も要チェックである。
無事に出航した村営船みしまは真っ青な東シナ海を進み行き、やがて海の向こうに白い噴煙をあげる陸地が見えてきた。
硫黄岳。海抜ゼロからそびえ立つ標高703mの山容は荒々しい山肌と、険しく切り立った崖が余人を寄せ付けないような
一種の威圧感がある。
他方、海には火山の硫黄成分が流れ出たせいだろうか、エメラルドグリーンの絵の具を溶かしたかのように
海を彩っている。厳しい表情を見せる陸と、美しく彩られた海。この島は果たして僕たち旅人を歓迎しているのだろうか、
それとも・・・これから始まる島の旅に胸を躍らせていた。
つづく
横浜にて
新年あけましておめでとうございます。
今年最初のお出かけは、おしゃれな街、横浜。
お昼を食べに中華街へ。
本場の麻婆豆腐が有名な店へ。
色が黒々としており、普通の麻婆豆腐とは違っている。
食べてみると、山椒が利いていて辛い。
でも、激辛というわけでもなくちゃんと食べられた。
食後は港の見える丘公園へ。
白い船が真っ青な海を進む。
その向こうには横浜ベイブリッジが白く輝いていた。
それから中華街に戻って、フカヒレまんを買って食べ歩き。
申し訳程度にフカヒレらしきものが入っていたけど、本当にフカヒレなんだろうか??
中華街にはいろんな店があって、ブラブラ歩くだけで中国旅行気分が味わえる。
雑貨屋とか食料品店を覗いて回るのも楽しい。
乾燥タツノオトシゴとか売っていたけど、一体誰が買うんだろう?
それから、寒い風にあおられながら、みなとみらいまで歩いた。
一日歩いたので帰りはやや疲れたが、楽しい一日だった。
こういう休日もいいものだ。
ゆく年くる年
2008年は仕事に追われた一年だったと思います。
転職して2年目ということもあり、任される業務も増えてきました。
と同時に、果たさなければならない責任も増えたわけです。
残業も休日出勤も増えましたが、それは自分に課された責任を全うするため。
要領が悪くて仕事が遅いという反省もありますが、確実に仕事を進めたいと思っています。
誰だって早く帰りたいし、休みの日には家でのんびりしていたい。
だけど、誰かがやらなければいけない仕事もあるわけです。
面倒くさくて、地味で、他人がやりたがらない業務。
その「誰か」に誰がなるか?
今年のブログを眺めて、「あまり出掛けていないなぁ」としみじみ思いました。
山にもあまり登っていないし、ツーリングにも出掛けていないし、新規の温泉開拓も・・・。
来年は、仕事の忙しさもありますが、メリハリつけていきたいと思います。
B級温泉めぐりツーリング。
夏山登山。
歴史探訪の旅・・・。
そして、楽しいブログにしていきたいものです。
いつもアクセスして下さる皆さん、どうもありがとうございます。
それでは、よいお年を。
ジェベル復活!!
ジェベルが復活しました!
毎日乗っているわけではないけれど、いつもの場所にないと寂しい・・・。
今日、バイクショップに引き取りに行き、久しぶりのご対面。
ステーターという部品を交換したので、予算金額をはるかにオーバーしてしまったけれど、
やっぱりバイクに乗れるのは嬉しい。
本当は先週にも引取りの予定だったのだが、先週末は腰痛再発で歩行困難に・・・。
寝返りも打てないほど痛みがひどく、先週火曜日には午前半休をもらって病院へ。
まぁ、いつものことだけど、痛み止め薬よ湿布をもらって会社へ。
腰の調子はだいぶ良くなってきたけど、完全復活まではもうちょっとかかりそう。







